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毎日新聞「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」


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洛書き帳:「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」… /京都 毎日新聞(2008.8.10)

「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」。先日ある取材で医療関係者がそう打ち明けた。かつて彼がいた病院では、患者が亡くなれば地下の安置室に移し、裏口のドアから外に出していたという
▼「死」を人目に触れない場所に隠す意識が働くのだろうか。どこか死者を冒とくしている気がして薄ら寒くなった。こうした対応に理不尽さを感じる医師も少なくないらしい
▼彼が現在勤務する診療所では、患者が亡くなれば病室でお別れ会をし、顔にハンカチをのせることなく玄関から送り出す。遺族からは必ずお礼の手紙が届くという。私が患者なら死んだ後も人間としての尊厳を守ってほしい。

「病院は死者を冒涜している。尊厳を守っていない」とでも言いたげな、文章ですが。
「死を遠ざけたい」という意識は、多くの日本人が持っているものではないのでしょうか?


養老孟司氏の著書「死の壁」には、こんな文章があります。

今では葬式といえば火葬があたりまえですが、高度成長期の前までは土葬も別に非常識な手法ではなかった。これがあっという間に、より死体を遠ざける方向に向かっていった。出来るだけ「死」を日常生活から離していった。考えないようになった。

ほぼ同じ時期にトイレでも同じようなことが起きた。つまり水洗便所の普及です。あれは人間が自然のものとして出すものをなるべく見えないように、感じないようにしたものです。排便は、人間が自然のものとして存在している以上、どうしても避けられないことです。そういう生と不可分のマイナスの面を排除してきたのです。もちろん、便に接するのが大好きという人は少数派でしょうが。

短絡的な人には怒られるかもしれないけれど、ウンコを出すということ、死ぬということ、いずれも自然の必然という点では一緒です。が、それを見ないように見ないようにしてきた。できるだけ視界から遠ざけてきたのです。

このように、日本には「死をできるだけ遠ざけてきた」文化や風習があります。


特に、病を抱えている患者さんには、死をできるだけ避けたいと考えている方が多いでしょう。
「死と向き合わなければならない」ことに恐怖を感じ、なるべく考えないようにしている患者さんがいるなかを、「打ち覆い」(木下記者は、ハンカチと言ってますが)をせず送り出すことは、「死を突きつけている」ようなものです。


そもそも、亡くなった後に「病院の正面玄関から顔を晒して送り出されたい」と願っている本人やご家族が、多いとも思えません。


特定の宗派やホスピスなどの施設によっては、そのようなことを望む方がいらっしゃるかもしれません。それは個人の死生観であり、尊重すべきものでしょう。ただ、多くの日本人にとっては「霊安室(木下記者は、安置室と言ってますが)に安置し、そこから送り出す」ことについて、「死者を冒涜している」「薄ら寒くなった」と捉える方は少ないと思います。


さて、この記事で気になったのが

「病院には遺体に対して『不浄』という意識がある」。先日ある取材で(略)
彼が現在勤務する診療所では・・(略)・・顔にハンカチをのせることなく玄関から送り出す。


という部分。その「ある取材」に関連していそうな記事がこれですが


ビハーラ活動 「生老病死」苦悩に寄り添う /京都 毎日新聞(2008.8.3)

◇特養ホームと診療所オープン4カ月
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺下京区)が、伝統仏教教団の運営としては全国でも珍しい特別養護老人ホーム「ビハーラ本願寺」と診療所「ビハーラクリニック」を城陽市にオープンしてから4カ月が経過した。「生老病死」の苦悩に手を差し伸べようとする教団の姿からは「葬式仏教」との批判から脱却し、社会の要請に応えようとする姿勢が見える。現場で模索を続けるスタッフらの姿を追った。

仏教教団立診療所という特定の宗教での取り組みをもって、他の考え(「死を遠ざけたい」という考え)を「死者を冒涜している」と主張していることこそが、「どこか死者を冒とくしている気がして薄ら寒くなった」では、ないのでしょうか?